中国の武漢から発生したと言われるコロナウイルスが今世界中を蔓延させています。このコロナウイルスがニュースなどのトピックにあがりだしたのは、2020年の1月頃でしたので、僅か1,2か月の間に世界中で知らない人がいないくらいに広がった様です。
過去にも人類は、人類全総人口の4分の1、ヨーロッパにおいては総人口の60%を死に追いやった人類史上最悪のパンデミックと言われるペストや未だ発展途上国でも感染が確認されるコレラなど数限りない疫病と人類は戦ってきましたが、中世時代の交通手段は、帆船や馬車などだったので、人と人が接触して感染するスピードに限りがありましたが、現代では24時間以内に地球上のほとんどの場所に行き来が出来る為、この高速感染が広がったと考えられます。
またコロナウイルスの発生が確認された時期も非常にまずく、中国人が民族大移動を行う、旧正月時期にぶつかり、その感染地域の拡大にブーストを掛けたことは否めません。
歴史にイフは禁物ですが、もしコロナウイルスの発生時期が、この民族大移動の時期からずれていたら、感染拡大にブレーキを掛けていたかもしれません。
コロナウイルスの存在が確認されたからの対応は各国様々な形になりましたが、様々なやむを得ない事情や、アンラッキーな部分があるとはいえ、日本の対応は遅かったと言わざるを得ないと思います。
今回のコロナウイルスに限らず、これは日本人の気質や性格が大きく影響しています。元来日本人は一人に権限を与え、その人間の責任において物事をドメステチックに判断する文化がありません。責任を一人に押し付けずに責任者を複数置き合議制を敷く事で、計画の完成度を高めリスク分散を図ってきました。
平時にはこの方法でも十分対応が可能ですが、今回の様な予想が難しく突発性の有事の際には、日本的な物事の進め方が障害になった感は否めません。
為政者は時には大を活かす為に小を切り捨てる勇気が必要なあると言えます。 マスコミや人権保護者などは、弱者救済を声高に叫んで、非常の決断を非難する傾向にあります。これはとても大事な事ですが、日本のケースは少し海外とは異なり、この非難が的外れであったり、異常な場合も少なくありません。
世界の常識からは理解しづらい点ですが、日本人は過大に自国や自国民を卑下し、自虐的に騒ぐ傾向にあります。 また正直は愛すべき美徳ですが、こちらも世界的な視野から見ますと、時と場合によって使い分ける必要があります。
政府側も世論に一喜一憂せずに、仮にマスコミが報じる世論が(それが本当の国民の総意かは別として)批判的であったとしても、押し通さないといけないケースもあります。
例えば、武漢からコロナウイルスが発生した際に、フィリピン政府は大統領の権限で、武漢から到着した飛行機から入国を認めず、そのまま中国人を帰国させた判断を下しました。
アメリカではいち早く武漢のみならず中国人の入国拒否に動き、感染拡大を抑制し、感染の恐れのある人間はCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の管轄下で、指定施設にて隔離を実行しました。
中国からの移民や投資でかなり中国の影響を受けているオーストラリアでさえ、オーストラリア本土から1500キロ以上離れている孤島クリスマスアイランドに感染者や感染の恐れのある人を隔離すると発表しています。
日本には世界では常識と言える法律が定められておらず、有事の際の対策や判断をしづらい環境にあるのかもしれませんが、武漢に政府主導のチャーター便を飛ばした際に、搭乗者の帰国後の収容施設の確保が出来ていなかった点と、搭乗条件としてウイルス検査を必須にしなかった2点が、非常に驚きました。
感染拡大可能性がある人に対して、任意で検査を要請する話などは、海外では聞いて呆れられてしまいます。
有事の際のトップダウンの判断等は憲法が関わっている可能性があるので、早急に改正は出来ないと思いますが、今後この様なパンデミックが発生する可能性は否定出来ませんので、アメリカのCDCの様に有事の際管轄の一本化と、感染者を隔離する施設は離島にでも建設する必要があると思えます。
離島の施設は平時にはもう完全にキャパシティーオーバーとなっている不法外国人の収容施設として併用すれば、有効活用が出来ると言えます。
施設建設には、また騒ぐ人達も出てくると思いますが、世界的に見ればある程度厳しい対策は必要な事なのです。